普通
2024/03/11
みなさんこんにちは!
水産事業部の三鹿です。
北海道では最近は雪が解け始め、路面も出てき始めているのですが、まだまだ北海道は寒いです。
寒いので家から出たくない日々が続いています、、、w
その為、よりインドアに磨きがかかってきました。
なので、最近本を読むことが増えてきました。
その中で、とても納得出来た
「普通がいい」という病 という本をご紹介いたします。
人は、
- 普通がいいことだという思い込み
- 周りから浮かないように普通になろうとする
というバイアスがかかっている人がほとんどだと思います。
『普通』とは
広辞苑によると広く一般的であること、多く当てはまることと書かれています。
つまり普通とは人数の多い多数派であり、普通じゃないとは少数派であるという意味になります。
多くの人は少数派の人を『浮いている』や『変わり者』と排除しようとしてしまいます。
ただ普通じゃないことはダメなことはなく
職業で例えるとするならば、サラリーマンは普通の仕事でYouTuberやプロゲーマーは普通じゃない仕事ということになります。
『普通』 というのは多数派であるだけであって良いも悪いもありません。
ただ、大人になるにつれて世間一般にいう『普通』にならないといけないと心ではなく頭で考えようとしてしまいます。
私たちが 普通 になろうとする癖がついた理由として、幼い頃から学校や親から徹底的に合理的な考え方を叩き込まれたことにあります。
そのため、私たちは『普通がいい』と思い込んでいます。
ただ、頭で普通はどうなのか? と考えて続けていると自分のしたいことを無視し続け、
自分らしいく生きられないことでストレスが溜まってしまい、精神が病んでいく人が多いと著者である泉谷閑示さんは語っています。
少数派になってしまうと、孤独になってしまうと考えてしまう人もいますが、
自分を偽って多くの人と付き合っていたとしても結局寂しいままです。
個性を発揮して生きている人ほど自分のやっていることに没頭できているので孤独は辛くありません。
また、誰かに何かをしてあげる時、まず自分が心の底から満たされていなければ本当に人のために何かをすることはできません。
例えば、
自分がバナナを5本持っていました。いつもは3本食べると満腹になって満足します。
そこで彼は、自分で食べるのは二本で我慢することにして、残りの三本を気の毒な物乞いにあげました。
しかし、この物乞いはバナナが嫌いらしく、一言のお礼も言わず、目の前で「こんなものいらない」と、地べたにバナナを投げ捨てたのでした。
そうなると腹が立つと思います。
もし5本のうち、3本食べおなかいっぱいの状態で、余ったバナナを上げた時に同じ状況になった場合それほど腹は立たないはずです。
つまり、誰かに何かをしてあげる時、まず自分が心の底から満たされていなければ本当に人のために何かをすることはできないということです。
当たり前だけど、出来る事が出来ていない
頭ではなく心に従い、自分らしく生きることが大切という事を再度認知することが出来ました。
最後までお読みいただき有難う御座いました!
来週の投稿もお楽しみに😊